(歴史小話) 国境を超えて2~友情の翼~

緊迫のテヘラン

山田寅次朗がその豪快な人生を閉じてから28年の月日が流れた。

1985年3月12日。イランとイラクは交戦していた。アメリカの支援を受けたサダム・フセイン大統領は、イランの首都テヘランに対する空爆を下令、そして3月19日20時半以降、イラン上空を飛行する全ての航空機を撃墜する声明を出した。

この時、テヘラン在住の日本人は約1000名。多くの人々は順次脱出していたが、メヘラバード空港に約300名が逃げ込んできていた。日本政府は邦人脱出の手配を進めていたが、調整に時間がかかってしまった。日本国外務省から要請を受けた日本航空(JAL)は、当時テヘランへの定期便を持っていなかったこともあり、3月19日20時半というタイムリミット前にイラン領空を脱出できないことを理由に外務省の要請を断ってしまう。日本からの救援の道は閉ざされた。

野村大使、窮余の一策

欧州へ運よく逃げれた人もいたが、最終的に空港にとり残された日本人は約200人。タイムリミットは刻々と迫っていた。こうした緊迫した状況の中、在イラン日本大使館野村豊大使は最後の一手を打とうとしていた。それは、野村大使が日頃から親交のあったトルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴え、トルコ航空に緊急フライトを要請することだった。ビルレル大使は野村大使の申し出を快諾してくれた。この時、彼は野村大使に対してこう言ったという。「トルコ人誰もがエルトゥール号の遭難の際に受けた恩義を知っている。今こそ、あの時のご恩をお返しさせていただきましょう。」

トルコでも必死に尽力した人物がいた。商社伊藤忠の森永尭は、トルグト・オザルと10年来のつきあいがあった。森永は、当時経済官僚だったオザルが、疲弊していたトルコ経済を日本のようにしたいと強く願っていたことを知り、日本からの技術協力などに尽力していた。やがて彼ら二人の間には、強い絆が芽生えた。

森永はイランの日本人の窮状を知っていた。彼は、今や大統領となったオザルに直接救援機の派遣を申し入れた。ビルレル大使と森永の熱意がオザル大統領を動かした。トルコ航空救援機の派遣許可が下りた。

友情の翼

トルコ政府から要請を受けたトルコ航空本社は、その要請内容に緊迫していた。やがて選りすぐりの機長、アリ・オズデミルに業務命令が出された。アリが業務命令を読み上げた時、スタッフに対してこう言った。「今回は命を懸けたフライトになる。だから命令を拒否してもいい」 しかし、副操縦士以下、命令を拒否する者は誰もいなかった。ある一人が言った。

「我々を待っている人たちがいる。直ちにフライトの準備にかかりましょう。」

トルコ航空の航空機は、トルコのアタチュルク空港を飛び立ち、危険なイラン領空を避けてカスピ海を南下しつつ、テヘランのメヘラバード空港へ急行した。一方、メへラバード空港で救援を待つ日本人たち。そして大空の彼方から1機の航空機の翼が見えた。それは、自分の命を賭してまで駆けつけてくれた友情の翼だった。

時間がない。トルコ航空機は空港に着くなり、出発準備にとりかかる。日本人全員を乗せた。だが、なかなか離陸許可が出なかった。タイムリミットが刻々と近づく。ついに航空機はメへラバード空港を飛び立った。だがまだ安心することはできなかった。タイムリミット前とはいえ、いつ戦闘機からミサイルが飛んでくるか分からなかった。通常、民間の航空機は雲を避けて視界の良いところを飛ぶ。だがこの日は逆だった。なるべく雲の合間に隠れてジグザグに飛び、少しでも身を隠す必要があった。そして離陸してから2時間半後、機内にアリ機長のアナウンスが流れた。

「Welcome to Turkey! (ようこそトルコ共和国へ)」

この時搭乗していた邦人は215名。3月19日20時半のタイムリミット間際に、無事トルコ領空へと帰還した。

15年後の1990年。湾岸戦争開戦時にイラクのバグダッドで人質になっていた邦人を助けるために、アントニオ猪木氏がサダム・フセイン大統領と直接掛け合い、平和を訴えるイベントを提案した。その際にもフライトのチャーターを快諾してくれたのがトルコ航空だった。

さらに1999年8月7日。トルコを大地震が襲い、数え切れない人達が犠牲になった。あの時、命を賭けて救援に駆けつけてくれたトルコの人々に助けられた乗客や森永たちは立ち上がった。銀行マンに商社マン。普段はエリートと呼ばれる人達も、必死になって義捐金を集めた。それはやがて、大きな輪となって日本中に広がっていく。

彼らの姿を、今は安らかに眠る旧大島村民、山田寅次朗達も誇りに思っているだろう。

(文中敬称略)

トルコは、難しい歴史を持っている。伝統的に商売上手なこの国も、EU加盟、移民、キプロス、そしてクルド人の問題等抱える問題は少なくない。だが日本との心理的な距離はきわめて近い。

いい面も悪い面も。歴史を学び、歴史に学ぶことが重要ではないか。

(参考文献)「トルコの時代」
http://www.turkey.jp/2003/index.html

「在日トルコ大使館」
http://www.turkey.jp/jp/indexJP.htm

「クルドの独立、トルコの変身」(田中宇の国際ニュース解説)
http://tanakanews.com/070209kurd.htm

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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