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(物語) 盛岡へ ~老いぼれの救援貨物列車~

その貨物列車の到着を、心待ちにしている人達がいた。最新鋭の機関車が引っ張るのは、引退を間近に控えた老いぼれの貨物車両。臨時の救援列車は、盛岡へと急いだ。

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第一章 7番目の「JR」

JRと言えば、新幹線や山手線といった路線を思い起こす人が多いだろう。北は北海道から南は九州まで、JRグループ6社は日常の足として欠かせない存在である。だがこの6社の他に、普段我々が乗ることができない特別な列車を走らせている会社がある。日本貨物鉄道株式会社(JR貨物)である。

JR貨物は、かつての日本国有鉄道(国鉄)の貨物事業を引き継いだJRグループの会社だ。一部の専用貨物線を除いて、JRグループ各社の線路を走らなければならず、時間が制約されてしまう。さらに貨物車両への積み込みと荷卸しという手間が発生するので、トラック輸送よりもハンデを負っている。近年の環境意識の高まりから鉄道による貨物輸送が見直されつつあるが、JR貨物の経営は決して楽ではなかった。

第二章 3月11日 東北地方

14時46分。東北三陸沖を震源としてマグニチュード9.0という未曾有の大地震が発生した。15メートルとも言われる津波も発生、東北・関東地方の太平洋沿岸部を襲った。

この大震災は、電気、ガス、高速道路、空港、港そして鉄道と生活のインフラ基盤のすべてを破壊した。海に近い仙台空港は津波が襲って滑走路が冠水、旅客機が飛べない状態が続いている。常磐自動車道、東北自動道も多くの箇所で道路や法面が陥没、断層のずれによる段差が相当数あり、通行止が長く続いた。鉄道の大動脈である東北新幹線、東北本線、常磐線も甚大な被害を受け、多くの場所で線路が大きく波打ち、架線が切れて垂れていた。

東北本線は、JR貨物にとっても大動脈である。もし東北本線に事故や損傷があっても、常磐線が迂回路としての役目を果たすようになっている。しかし今回の大震災では、迂回路になるはずの常磐線の方が損害が大きかった。さらに東北本線の被害も甚大で全線復旧の見込みはたっていない。

第三章 3月14日 JR貨物本社

3月14日。東京・新宿の高島屋タイムズスクエアに程近いJR貨物本社で行われた会議に、30人ほどの社員が参加していた。彼らの脳裏には、被災地でガソリンがないために病院に行けない人達、灯油を極限にまで切り詰めて節約する避難所、そして暖房がないまま懸命に治療を続ける病院の姿があった。ある一人がこう発言した。

「石油を運ぶぞ!日本海側から!」

よしやろう、と多くの参加者から賛同の声が上がった。関東から日本海岸を通って被災地へ石油を運ぶ。それはJR貨物にとって、これまで経験したことない大きな仕事だった。

第四章 盛岡貨物ターミナル駅

岩手県盛岡市にある盛岡貨物ターミナル駅は、東北地方の貨物輸送の拠点である。東京と札幌のちょうど中間に位置するので、高速貨物列車の全列車が停車して乗務員が交代する。

この盛岡貨物ターミナル駅の西側には、貨物列車で運ばれてきた石油を移し変える施設(石油荷役設備)が備えられている。本来であれば仙台港(仙台塩釜港)近くにあるJX日鉱日石エネルギー仙台製油所で原油を精製し、その後仙台製油所に隣接する仙台北港駅から専用列車でこの駅まで輸送されてくるのだが、今回の大震災で仙台製油所は大部分の機能を停止していた。だが、幸いなことに盛岡貨物ターミナル駅の石油荷役設備は生きていた。

JR貨物は、救援列車の終点をこの盛岡貨物ターミナル駅とし、ここから先はタンクローリーを使って各被災地へ石油を輸送することにした。

第五章 3月15日 JX日鉱日石エネルギー

近年の「エコ」ブームは、石油関係各社の経営体力を蝕んでいた。原子力発電を中心とした国と電力会社の電力政策、鳩山前首相の温室ガス25%減という何の根拠もない国際公約、電気自動車やハイブリットカーといった「エコカー」の普及など、石油会社は吸収合併、原油精製所の整理統合、ガソリンスタンドの削減などを余儀なくされてきた。外資系のエクソンモービルグループが日本市場からの撤退を表明したのもこうした潮流の中にある。

JXホールディングスは、新日本石油グループ(ENEOS)と新日鉱ホールディングス(JOMO)が合併して誕生したグループである。危機感から生まれた合併だった。JX日鉱日石エネルギー株式会社は、そのJXホールディングスの中核をなす会社だ。

3月15日、JR貨物から連絡を受けたJX日鉱日石エネルギーは、運搬するガソリンと軽油の積み込みを神奈川県の根岸にある根岸製油所で行うことにした。根岸製油所も地震の被害を受けていたが、損害は比較的軽微で原油の精製作業も再開するところだった。ここには貨物用の専用線があり、ガソリンと軽油の積み込みができる。JR貨物へは19日から発送可能と回答したが、一日でも早くして欲しいというJR貨物からの要望に応え、一日前倒して18日に第一便が走れるように手配した。

第六章 老いぼれの貨物車両

JR貨物では、根岸から盛岡までの運行ルートを精査して、一度新潟へ抜けてから日本海岸を北上してから青森から盛岡まで南下することにした。しかしJR貨物はこのルートで石油を運んだ経験がなかった。貨物列車は一般の旅客用車両に比べて重い。貨物車両の荷重にレール、鉄橋、高架橋、踏切といった設備が耐えることができなければ、大事故につながってしまう。しかも今回運ぶのは揮発性の高いガソリンと軽油。間違いは許されなかった。

JR貨物の技術担当者は、できるだけ軽い貨物車両を使うべきだと考えていた。そこでJXグループで貨物車両を取り扱う日本石油輸送株式会社に相談した。その結果、選ばれたのは1977(昭和52)年に製造された「タキ38000型」。積みこめる量は少ないが、軽いのでレールなどへの負荷が少なくすむ。このタキ38000型は今ではあまり役目がなく、日本各地で引退を静かに待っていた。日本石油輸送はこの古い貨物車両に目をつけ、17日までに18両をかき集めた。

その頃、JR貨物は油を満載した貨物列車の運行シミュレーションを線路を管理するJR東日本へ打診していた。

第七章 3月14日 JR東日本

JR東日本には苦い経験がある。

2005年12月25日、羽越本線砂越~北余目間にある「第2最上川鉄橋」で特急列車が脱線し、犠牲者5名、重軽症者30数名を出してしまったのだ。原因は吹雪の中を特急列車が走り、突風にあおられたことにある。この年の4月には関西で福知山線の事故が起こったこともあり、JR東日本も厳しい批判にさらされた。

この年以降、JR各社は事故予防に過敏になった。特にJR東日本では、少しでも強風が吹くと電車を徐行させたり、運行を停止するようになった。大震災発生の日、安全の確認が取れないとして首都圏を中心に終日運転の打ち切りを即座に決定したのもこうした事情が背景にある。そして今回、救援列車はまさにこの事故現場を通過するのだ。

通常、長い時間がかかる列車運行のシミュレーション。だが、JR東日本は連絡を受けてからわずか一日で回答した。

「貨物列車の運行に問題なし」

それはJR東日本の最大の誠意だった。準備は整った。30年以上も前に製造された貨物車両が、被災地救援のために盛岡へ向けて走り出す。

最終章 盛岡へ

2011年3月18日19時44分、臨時救援列車は、静かに根岸製油所を出発した。目的地は盛岡貨物ターミナル駅。到着予定時刻は翌日21時51分。25時間もの長旅である。救援列車はタキ38000型18両で編成され、ガソリン405キロリットル、軽油387キロリットルの合計792キロリットルを満載していた。この量はタンクローリー約70台分に相当する。

この列車の運転には8人の機関士が交代で担当した。タキ38000型の最高設計速度は時速75キロ。途中では急勾配区間が幾所もあり、高度な運転技術が求められる。だが8人の機関士は皆、経験豊富なプロ中のプロ。JR貨物は万全の体制で救援列車の運行にあたった。

翌日22時過ぎ、救援列車は盛岡貨物ターミナル駅に無事に到着した。遅れはほとんどなかった。到着を待ちわびたタンクローリーにガソリン・軽油が移され、それぞれ被災地へ向けて走り出していった。

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老いぼれの貨物車両が運んでくれたガソリンと軽油。
そこには、多くの人々の復興への願いが込められている。

すべての犠牲者、被災された方々、輸送に当たられた関係者の皆様へ捧ぐ。


日本貨物鉄道株式会社(JR貨物)
http://www.jrfreight.co.jp/

JXホールデイングス
http://www.hd.jx-group.co.jp/index2.html

東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)
http://www.jreast.co.jp/top.html

日本石油輸送株式会社
http://www.jot.co.jp/

日本赤十字社 
http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002069.html

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