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(物語) 相撲道、まっすぐに

両国国技館に設置されている相撲教習所。所長を務める貴乃花親方は、新弟子たちを前にしてこう言った。「親方やおかみさんに言えないことをしてはいけない。相撲道に邁進して欲しい」

半年前、相撲界の慣行を破って理事選に立候補した貴乃花親方は、相撲協会のホープとして世間の注目を集めていた。その貴乃花親方が、暴力団関係者と会食していたことがスクープされた。現在の相撲界を象徴するような出来事だった。

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田中司さんは四国の徳島県の生まれ。小学校の時から野球に熱中し、香川県の高松市に転校後も野球の練習に励んできた。中学校へ進学すると野球部に入部、外野手として活躍した。その活躍が甲子園への出場経験を持つ強豪校である寒川高校の目に留まり、推薦入学することが決まっていた。

そんな田中さんに異変が起きたのは昨年末。視界がぼんやりと霞がかった。数日後、地元の大学病院で精密検査を受けた。結果は残酷だった。「レーベル病」と診断されたのだ。

「レーベル病」とは、視力を司る視神経に異常が生じる難病である。視力が徐々に低下していき、失明する事も多い。レーベル病は遺伝子の突然変異から生じると考えられているが、根本的な治療法は確立されていない。

田中さんの左目の視力が急激に低下していった。だが、甲子園への夢はあきらめきれなかった。インターネットで必死に治療法を探した。多くの医者を訪ね歩いた。

2010年3月、田中さんは大阪にある針きゅう接骨院を訪れていた。針きゅう師の前田為康さんは、身長177センチ、体重80キロ超という立派な体格を持つ田中さんを見て、こう言った。

「田中君、相撲をやってみないか?」

前田さんは式秀(しきひで)親方と親しかった。元小結・大潮である式秀親方は、相撲界で初めて茨城県に部屋を構え、弟子たちの指導にあたっていた。前田さんの連絡を受けた親方は、田中さんの元を訪れた。この時、田中さんの視力は左目0・01、右目0・3程度。甲子園出場という目標を失いかけていた田中さんは、親方の誘いをためらった。そんな田中さんに式秀親方はこう言った。

「困難があるからこそ挑戦しよう。もう一度、夢を追いかけてみないか」

田中さんは弟子入りすることを決意した。

2010年4月、田中さんは住み慣れた高松を離れて茨城県へ単身移動。連日厳しい稽古に励んでいる。兄弟子との取組ではまったく相手にならなかった。繰り返し挑んでいっても跳ね返され、涙を流すこと数限りなかった。そんな新弟子を、親方は厳しくも優しく励まし続けた。

長い相撲の歴史の中で、初めてNHKの生中継がなされなかった名古屋場所(愛知県体育館)。生まれ故郷「徳島」をしこ名にした田中さんは、2日目の12日に、序ノ口29枚目として初土俵に立った。以前の取り組みで負けていた相手を見事ひねり倒した。

3勝3敗で迎えた千秋楽。「徳島」は見事優秀の美を飾った。その応援席には、故郷から各界入りに反対していた母が、応援に駆けつけてきてくれていた。

その眼が見える限り、「徳島」は土俵に立ち続ける。

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揺れる相撲界で、まっすぐに相撲道を歩む人達がいます。
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