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(物語) イニシャルT・Hの贈り物

2010年2月18日、カナダ・バンクーバー冬季オリンピック。男子フィギュアスケート日本代表の高橋大輔選手は、2日前のショートプログラムでは3位につけていた。この4年間、高橋選手は怪我に悩まされ続けていた。満足いく練習ができるようになったのは最近のことである。

そんな高橋選手を、遠く日本から祈るように、テレビ画面から声援を送る一人の女性がいた。世界一といわれる華麗なステップ、練習を積み重ねた4回転ジャンプ。高橋選手のフリープログラム演技が始まった。

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岡山県倉敷市。瀬戸内地方の温暖な気候に包まれたこの街は、古くからスポーツが盛んである。特に、野球では倉敷商業高校が中日ドラゴンズと阪神タイガースで活躍した星野仙一元監督を輩出している。この街に、雪が降ることはまずない。

そんな倉敷の街に、アイススケーターとして活躍していた佐々木美行さんがアイススケートクラブを設立したのは1995年のことである。この年、久しぶりに倉敷にアイススケート場ができたのがきっかけだった。設立間もない倉敷アイスケーティングクラブに、当時小学一年生だった高橋選手が入ってきた。その才能は群を抜いていたと言う。練習時間は一日に数時間。高橋選手は佐々木さんの指導の下、実力をつけていった。

だが、佐々木さんはクラブ設立当社から問題を抱えていた。運営資金である。アイススケートには多額のお金がかかる。冬、北海道や東北では夜に水を蒔いておけば、翌朝には凍って天然のリンクができている。しかし、温暖な瀬戸内の倉敷ではそうはいかない。どうしてもアイススケートリンクに頼らざるを得ない。

募集人数も思うように集まらなかった。資金を援助してくれる人もほとんどいなかった。当時、スケートリンクの使用料は1時間あたり2万円。佐々木さんはその工面に奔走していた。使用料が安い一般人向けの開放時間に練習したこともあったという。そんな状態が5年ほど続いた。

1999年。クラブの運営資金に一番困っていた時のことである。佐々木さんの家に、一通の封筒が届いた。封筒を開けてみると短い手紙が封され、こう書かれていた。

「子供たちのために使って下さい。 T・H」

手紙とともに、一万円札が添えられていた。

差出人の住所は書かれていなかった。誰が出したのか、なぜお金に困っていることを知ったのか。佐々木さんはまったく心当りがなかった。それから3年間、その手紙は届き続けた。文面も金額も同じだった。

その頃、高橋選手の実力は世界に通用するレベルにまで成長していた。中学二年の時には世界大会に出場するまでになった。これを契機に、高橋選手の指導は長光歌子コーチへと引き継がれた。この頃になると、倉敷アイスケーティングクラブの知名度も上がり、子供たちも集まってきた。クラブの運営も少しずつ軌道にのってきた。それを見届けるかのように、手紙は途絶えた。

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バンクーバーオリンピックの会場に、1旗の横断幕が掲げられた。「GO! DAISUKE GO!」と書かれたその横断幕の制作費にも、イニシャルT・Hさんからの寄付金が当てられた。

その横断幕が見守る中、高橋選手は日本男子フィギアスケート史上初の3位入賞を果たした。表彰式で、高橋選手は涙ぐんでいた。その勇姿を、きっとどこかで、イニシャルT・Hさんも優しく見守っているだろう。

テーマ : ちょっといい話 - ジャンル : ブログ

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