(物語) グラウンド・ゼロへ

世界警察・消防競技大会

2001年6月。アメリカのインディアナ州インディアナポリスで、世界中の警察官・消防官が集まって日頃の訓練の成果を競う「世界警察・消防競技大会」(World Police and Fire Games)が開かれた。横浜市消防局に勤務する志澤公一さんは、日本代表としてこの大会に参加、各国の消防官と親交を深めた。その中にはニューヨーク市消防局(New York City Fire Department , FDNY)の消防官、デイビットさんもいた。

悪夢の911

その年の9月11日、ニューヨークを悪夢が襲った。四機の航空機がハイジャックされ、そのうち二機が世界貿易センタービル(World Trade Center)の南棟と北棟に突入した。後に「ナインイレブン(911)」と呼ばれる同時多発テロだった。

航空機突入の通報を受けたFDNYは直ちに消防官を世界貿易センタービルへ向わせた。この時、まだビルは2棟とも崩落していない。多くの消防官がそれぞれ非常階段を駆け上がって行った。南棟の中層階で働いていた女性はこう証言している。「私達はこの場にいては危険だと感じ、とにかく非常階段を駆け降りました。そこで階段を駆け上がる消防官達とすれ違いました。彼らはどうなってしまったのでしょうか・・・」 そしてまず南棟が、続いて北棟が崩落した。巨大な粉塵がマンハッタンを飲み込んだ。

既に日本に帰国していた志澤さん達は、世界警察・消防競技大会で知り合ったデイビットさんの安否を確かめるためにメールをした。数日後ようやく返信を受け取った。いつもは長く楽しいメールを書くデイビットさんが、この日はSOSを告げる短いメールを送ってきた。

「仲間の行方が分からない。何とか助けてくれないか」 

志澤さんは大会に一緒に参加した消防官仲間に連絡を取った。呼びかけに応じて集まったのは8人。さらに2人、FDNYで短期間ながらも研修を受けた若き消防官が自らニューヨーク行きを志願してきた。

国際緊急援助隊、派遣されず

日本政府は事件直後、直ちに国際緊急援助隊を結成して羽田空港に待機させていた。しかしアメリカ政府はその威信にかけて自らの力でこの惨事を処理しようとしていた。各国に対して公式に災害派遣隊の要請を出すことはなかった。国際緊急援助隊は空しく解散を余儀なくされた。

ニューヨークへ

志澤さん達11人の消防官は、自らの意志で有給休暇を取得することを決意する。消防官という仕事に就く彼らが休暇を取得するということは容易なことではなかった。だが、彼らの同僚や上司は理解してくれた。ニューヨークへ行くことを許可してくれた。

10月6日18時15分。志澤さん達を乗せたユナイテッド航空800便は、一路ニューヨークへ向けて飛び立った。彼らは日本国消防庁が公式に派遣した救助隊ではない。あくまでボランティアとして消防官仲間の安否を確認すること、義捐金を渡すことが目的だった。そんな彼らの根底にあったのは、同じ仲間である消防官を救いたいという思いと、消防官としてのプライドだった。

志澤さん達が見たグラウンドゼロ(Ground Zero)は、今まで見たことがない悲惨な現場だったという。数十メートルを越す巨大な瓦礫、火は至る所でくすぶっているのが見えた。グラウンド・ゼロの周囲には規制線が張られ、外国人の立ち入りは厳しく制限されていた。それは志澤さん達も例外ではなかった。各国が自発的に派遣した救助隊は手持ち無沙汰で規制線の外にいた。

志澤さん達はまずFDNYの各消防署を周った。デイビットさんと再会し、義捐金を渡した。また、自由の女神に近いステタン島では犠牲になった消防官の葬儀に参列することができた。一応の目的は達せられた。しかし、何かやり残したという思いを感じざるを得なかった。彼らは日本から自分の消防服や救助道具を持参していた。いくつかのFDNYの消防署と交渉し、「目を真っ赤にして救助活動にあたる消防官を助けたい。なんでもいいからやらせて下さい」と頼み込んだ。だが、いい答えは返ってこなかった。「ありがとう日本の消防官。気持ちは十分ありがたいと思っている。だが我々は命令で動いている。それを無視する訳にはいかないんだ。すまない。」

途方に暮れる志澤さん達は、グラウンドゼロの近くである牧師さんと出会った。その牧師さんは志澤さん達に向ってこう言った。「私は第二次世界大戦の時、従軍して日本と戦いました。しかし今、その日本から我々を助けに来てくれた人達がいる。なんと素晴らしいことでしょう」彼はかつてFDNYに勤めていたOBだった。彼の取り持ちで志澤さん達11人の消防官は救援活動に参加することが許可され、規制線の中に入ることができた。そして二班に分かれ、救助・消火活動を開始した。与えられた時間は4時間だった。その短い時間で、志澤さん達は瓦礫の中にある空洞を見つけ、その中に突入、未発見の消防官の酸素ボンベを発見した。その懸命な働きぶりに初めは「俺達の聖地を荒らすな」という顔をしていたFDNYの消防官達も、「後は俺達が引き継ぐ。本当によくやってくれた。本当にありがとう」と言って、志澤さん達は歓声と握手とハグ攻めにあった。

志澤さんには忘れられない思い出がある。

各消防署を回ってホテルへ帰る途中、道行く人の中から握手を求めてくる人がいた。「サンキュー ベリーマッチ」と声をかけてくる人がいた。「アリガト」と片言の日本語を叫ぶ人もいた。志澤さん達が自発的にニューヨークへ来たことを、CNNをはじめとするメディアが報じていた。志澤さん達が「JAPAN FIRE」という国際緊急援助隊のTシャツに似せたユニフォームを着ていたので、一目で彼らが日本から来た消防官だと分かったからだろう。 http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4421006734/ref=dp_image_text_0?ie=UTF8&n=465392&s=books

ある夜、FDNYのデイビットさんが志澤さん達の苦労をねぎらうためにレストランに招待した。店に入った時のことだった。ウエイターは「ようこそ、日本の消防官。本当にありがとう」と言って彼らをテーブルまで案内した。その時、店にいたお客さん達はナイフとフォークを置いて一勢に大きな拍手をした。

そして、帰国するユナイテッド航空の中でこんなアナウンスが流れた。

「機長です。ここにはテロ現場で救援活動に携わった日本人消防官の皆さんが乗っています。日本人消防官の皆さん、ありがとう」

アナウンスを聞いた乗客たちは一勢に立ち上がり、歓声をあげて拍手を送った。最高の賛辞を贈るスタンディングオベーションだった。拍手は数分間鳴り止むことがなかったという。

~~
この大惨事で犠牲になった方は2000人を越える。そのうち救助活動で命を落としたFDNYの消防官は343人。ニューヨークのグラウンドゼロで、志澤さん達が救援活動に参加できたのはわずか4時間。しかしその行動は、多くの人達の心に刻まれている。

すべての犠牲者に捧ぐ。


ニューヨーク市消防局(New York City Fire Department)
http://www.nyc.gov/html/fdny/html/home2.shtml

Photo : Ground Zero Images Gallery "It comes many forms"
http://nyc.gov/html/fdny/html/wtc_other/ground_zero/best_036.shtml

September 11, 2007
http://nyc.gov/html/fdny/html/units/photo/galleries/2007/wtc_2007/wtc_2007_1.shtml

Photo : Ground Zero Images Gallery "Silent Prayer"
http://nyc.gov/html/fdny/html/wtc_other/ground_zero/best_020.shtml

Photo : Ground Zero Images Gallery "Simple Question"
http://nyc.gov/html/fdny/html/wtc_other/ground_zero/best_029.shtml

(参考文献)
中沢昭「9・11、JAPAN―ニューヨーク・グラウンド・ゼロに駆けつけた日本消防士11人」(近代消防社)

テーマ : ちょっといい話 - ジャンル : ブログ

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