(物語) 紙くずの恩返し

2010年1月14日、大阪府泉南市に住む造形作家の松原タエ子さんは、ある会社の株券を1万株購入した。金額は11万5百円。銘柄は日本航空(JAL)だった。既にJALの会社更生法申請は確定的になっていた。会社更生法が適用されると、上場廃止になって株券は紙くずになる。松原さんも、そのことを知っていた。

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話は50年前に遡る。松原さんは、母方の祖父母の養女として育てられていた。祖父は松原さんが中学時代に他界、残された祖母が女手一人で育ててくれた。時が経ち、松原さんが18歳になった頃、祖母へ何とか恩返しがしたいと考えていた。この時80歳になっていた祖母に願いを聞くと、一度は飛行機に乗ってみたい、と言った。当時の飛行機には今のような割引運賃やマイレージサービスなど存在しない。国内線であっても飛行機は高嶺の花だった。だが、松原さんは祖母の願いを叶えるために東京旅行を計画、利用する航空会社はJALだった。

旅行当日。大阪・伊丹空港からJAL機に乗った松原さん達は、東京の羽田空港に無事着陸した。しかし、足腰が弱くなっていた祖母は、タラップを降りるのに時間がかかってしまった。当時、羽田空港へはモノレールも京急線も乗り入れていなかった。バスで東京駅へ行くことになっていたが、松原さん達は乗り遅れてしまう。飛行機の利用客が少ないこの時代、バスの運転本数も少なかった。次のバスまで何時間も待たねばならない。せっかくの親孝行なのに、と松原さんは途方に暮れた。

空港の前で呆然としていると、優しく声をかけてくれた人がいた。JALのスタッフだった。松原さんから事情を聞くと、そのスタッフは車椅子を持ってきてくれた。さらにどこからか車を調達してきて、東京駅まで送ってくれた。こうして、松原さんは親孝行の旅を無事続けることができた。

2年後、祖母は亡くなった。生前、鶴のマークの人が親切にしてくれた、と事ある度に言っていたという。

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あれから50年。松原さんは、関西国際空港のJALカウンターを訪ねた。手にしていたのは、あの日の感謝を綴った手紙だった。紙くずになると分かっていながら購入した株券は、経営危機に瀕するJALへのエールだった。

1月末、今度はJALの地上スタッフが松原さんの自宅を訪ねた。400通ものカードを持参していた。「なんとか会社を再生したい」。「ご好意に応えたい」。松原さんの手紙を読んだスタッフからの返信だった。メッセージを持参したJALの赤木さんは、松原さんに対して、50年後も心に残る接客をしたいと思います、と伝えた。

2010年2月20日、日本航空株は市場から姿を消した。松原さんの株券も紙くずとなった。しかし、その紙くずの恩返しに込められた思いを、しっかりと受け止めている人達がいます。

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