(物語) 一瞬の夏

2006年7月13日、全国高校野球選手権大分県大会1回戦、病を懸命に克服した一人の高校生がマウンドに立った。彼の名は大分県立三重高校3年広田一弥君。マウンド上で小さく振りかぶって投球を開始した時、彼の、そして彼を支える全ての人々の一瞬の夏が始まった。

2003年夏。臼杵市立野津中学校の3年生だった広田君は、その長身から繰り出される速球で注目を集めていた。速度は130キロ。地区大会での優勝に貢献し、多くの高校から注目される期待の星だった。しかし、運命は彼の明るい未来を奪ってしまう。脳梗塞だった。幸い命には別状は無く、意識も問題なかったが、彼は左半身の自由を失われてしまった。絶望が彼を襲った。

大分県豊後大野市にある大分県立三重高校。野球部監督を務める上尾(あがりお)隆一監督は、中学地区大会の時から広田君の存在に注目していた。しかし、強豪ひしめく大分県の中で三重高校は無名な存在だった。そんな三重高校の上尾監督は、広田君の突然の悲劇を知り、病院へ見舞いに行った。上尾監督はあきらめていなかった。2度目の見舞いのとき、左半身がマヒしていてもう野球はあきらめたと言う広田君に向かってこう言った。「君には右手があるじゃないか。」その言葉は、恩師の誘いとなった。

2004年。野球部に入部したものの、広田君には依然として左半身のマヒが残っていた。リハビリの日々。それは想像を絶するほど大変だった。そんな広田君を見守る人がいた。母親の美穂さんである。彼女は、広田君を懸命に励まし続けた。しかし、左足に力が入らないため、マウンドからキャッチャーまでボールが届かない。キャッチボールすら満足にできないまま、一年の月日が流れた。

2005年。チームは敗戦が続き、まとまりを欠いていた。そんな中、ひたむきに特別メニューでリハビリと練習に励む広田君の姿に、チームは少しずつまとまっていく。そして秋の新チーム結成時、上尾監督はチーム全員にこう言った。「甲子園予選の先発は広田に任せる」。それはチームみんながあらかじめ話し合って監督に伝えていたことだった。広田と一緒に甲子園に行く。チームが一丸となった瞬間だった。三重高校は2007年に緒方工業高校、三重農業高校、竹田商業高校とともに三重総合高校として統合されることになっている。だから三重高校として甲子園を目指せるのは広田君の代で最後だった。

そして全国高校野球選手権大分県大会1回戦の2006年7月13日。先発は広田君だった。但し、依然として左半身にマヒが残る彼に長いイニングは投げさせることができない。そこで上尾監督は一人でもランナーを出したら交代という条件を付けていた。チームメイトがマウンドをならす。そして広田君の投球が始まった。

1球目。バッターの内角低めのボール。
2球目。バッターの足元へのボール。
3球目。右に大きくそれてボール。

このまま、ワンストライクも取れずに終わってしまうのか。

4球目。真ん中に決まってストライク。
5球目。内角低目をバッターが打ってファール。
6球目。再びファール。

そして、運命の7球目ー。

ボールは大きく右の外角へ反れた。フォアボール。それはピッチャー交代を意味していた。母親の美穂さんは、息子の晴れ姿に涙をこらえることができなかった。「中学の先生、野球部の監督、仲間のみなさんのおかげで頑張れました。本当にありがとうございました」。彼女は新聞記者に涙ながらにそう話した。そんな母のいるスタンドへマウンドから駆け寄る広田君。スタンド前で立ち止まり、帽子を取って2度ほど頭を下げた。

この日、三重高校は2対9で負けた。広田君、彼を支えた仲間達、そして三重高校の一瞬の夏が終わった。さわやかな残像を残して。


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現在、この物語となった大分県は、教員採用試験と昇進をめぐる汚職事件が明らかになっている。だが、この物語の上尾先生のように、多くの良心的な先生がいることを忘れてはいけないと想う。

時を同じくして甲子園を目指すドラマ「ROOKIES」が放送され、好評を博している。その「ROOKIES」で、佐藤隆太さん演じる川籐幸一がこんなセリフを言うシーンがある。

「反省は絶対に必要だが、過去の過ちに固執することは愚かなことだ。人は誰でも、平等に夢を見ることができる」

テーマ : ちょっといい話 - ジャンル : ブログ

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