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(物語) 駅前交番のおまわりさん

献花台には多くの人が訪れていた。小学3年生の男の子は、自宅から自転車で20分かけてやってきた。近所に住むお母さんは、あの日の感謝が忘れられない。仕事帰りのカップルは、その手に可愛い小さな花を携えていた。訪れる誰もが、彼の勇気を称えていた。


警視庁板橋警察署常盤台交番に勤める宮本邦彦巡査部長は、地域の住民から愛されるおまわりさん。「生涯、一おまわりさん」であることを誇りに、日々の仕事をこなしていた。

宮本さんは北海道札幌の生まれ。学生時代は新聞配達のアルバイトをして学費を稼いだ。夢は警察官になること。警察官と言ってもテレビや映画に出てくるような派手な刑事ではなく、街の人から親しまれる駐在所の勤務を希望していた。念願かなって、大学卒業後に警察学校へ入学した。

宮本さんは運動が大の苦手だったが、警察官になるためにはどうしても武道の資格がいる。宮本さんは剣道の資格を取ることにした。最初のうちは素振りでもワンテンポ遅れてしまうほどだったが、猛烈な努力を重ねて深夜まで練習に励み、気が付けば同期よりも強くなっていたという。愚直なまでの一生懸命さで、宮本さんは警察官としての第一歩を踏み出した。

最初に配属されたのは警視庁町田警察署管轄の南大谷駐在所。10年あまりの月日をここで過ごし、やがて板橋区にある東武鉄道東上線ときわ台駅近くの常盤台交番に配属された。

宮本さんの勤務姿を、今でも多くの住民は覚えている。

夜道、不審者に付きまとわれて困っていた若い女性。交番で宮本さんに相談した。その日以来、宮本さんは街をパトロールする度に、女性の家のポストに異常がないことを伝えるメッセージを紙に書いて置いていった。その女性は、宮本さんの心遣いに今でも感謝しているという。

小学生の女の子とその父親。ある日、女の子の携帯電話にチェーンメールが送付されてきた。誰かにメールを転送しないと殺されると書かれたメールに、その女の子は怯えていた。父親と一緒に常盤台交番にやってきたが、対応した警察官はどう対応していいのか分からなかった。そこにパトロールを終えた宮本さんがやってきた。宮本さんは携帯電話を見るなり、「こんなものは無視しなさい。もしまたこんなメールがきたらきちんと捜査します。皆さんの安全を守ることが、我々の仕事です」と言った。

その子のお父さんは、「警察にこんな相談をしても相手にしてくれないと思っていましたが、宮本さんの言葉にとても安心しました」と語っている。

夫と別れた52歳の女性。彼女は女手一つで息子を育てていた。ある年の年末、息子が夜中に街を出歩き、宮本さんに呼び止められた。宮本さんは交番へ彼を連れて行き、自分の将来に悩んでいるという彼に向ってこう言って励ました。「自分の好きなことをしっかりやったらいいよ。」 息子の教育に悩んでいた彼女は、息子からその話を聞き、感謝の念が絶えなかったという。

交番にやってくるのは不良やいじめられっ子、自転車の鍵を失くした小学生、刑務所を出所したばかりの男性など、実に様々だった。宮本さんは常に誠実に、そして優しく接していた。

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事件が起こったのは2007年2月6日。宮本さんは一人の女性と交番で話し合っていた。彼女は心の病を患っており、死にたいと言ってきかなかった。彼女は突然交番を飛び出し、遮断機が降りていた東武東上線の踏切の中へと入っていってしまう。宮本さんも追いかけて踏切の中へと入っていき、泣き叫ぶ彼女を身を挺して引きとめようとした。その時、池袋発小川町行きの急行電車が近づいていた。

東武東上線の急行電車は、ときわ台駅には停車しない。二人の姿を見つけた急行電車の運転手は、警笛を鳴らして急ブレーキをかけた。「止まってくれ!」宮本さんは女性をホームの下の緊急避難口へ突き飛ばしながら、そう叫んだという。

ブレーキは、間に合わなかった。

「宮本!しっかりしろ!」 救出活動にあたった常盤台交番の同僚が叫んだ。救急車で病院に運ばれた宮本さん。集中治療室で必死の看護が続いた。この事件はメディアによって大きく報道され、常盤台交番には宮本さんを知る地域の人達が集まってきた。近くの小学校の児童達は、祈りをこめて千羽鶴を折った。報道で宮本さんの勇敢な行動を知った全国の人達からは、励ましと安否を気遣う多くのメッセージが届いた。交番に入りきることができないくらいの千羽鶴が届けられた。誰もが、勇敢な警察官の回復を祈った。

だが、祈りは届かなかった。
2007年2月12日、宮本邦彦さんは静かに息を引き取った。


板橋区の隣町、練馬区に住む小学3年生の高妻竜児君は、テレビで宮本さんのことを知り、自転車で20分かけて常盤台交番までやってきた。その小さな手には3羽の折り鶴が握られていた。高妻君は読売新聞の記者に「宮本さんは勇気がある。自分の命を捨ててまで人の命を救ってくれてありがとうございますと言いたいです」と話した。

息子が夜中に宮本さんに励まされたというあのお母さんは、「犯罪のない世の中になるよう、見守っていて下さい」と話した。

警視庁板橋警察署の滝沢慶二署長(当時)は、「責任感と正義感から自分の身の危険を顧みず職務をまっとうした宮本巡査部長は、我々板橋警察署全員の誇りであります」とコメントを発表した。

高妻君を始め、宮本さんの献花台に記帳に訪れた人は500名を越える。交番に届けられた多くの優しい心。そこには小学生が書いた色紙も多い。

「宮本邦彦巡査部長殿。わたしたちは忘れません」

「誇り」

「宮本さん。今までありがとうございました。決して忘れません」

宮本さんの遺体を乗せた棺が板橋警察署を出棺する際、板橋警察署の警察官達は棺に向って整然と敬礼した。その後2月14日と15日に営まれた通夜・告別式には、1200人もの市民が訪れたという。

多くの人達から愛された駅前交番のおまわりさん、宮本邦彦巡査部長。事件を伝える2007年2月23日の読売新聞の記事。そこには、こんな見出しが付けられている。

「勇気に敬礼」


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警視庁板橋警察署「常盤台交番」
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/10/itabashi/koban/koban_tokiwa.htm

(参考文献) 
読売新聞2007年2月8日、23日朝刊

フジテレビジョン「死ぬんじゃない!~実録ドラマ・宮本警部が遺したもの~」
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2008/08-013.html

山口 秀範著 「殉職・宮本警部が伝えたかったこと」 (楽書ブックス)
http://www.amazon.co.jp/%E6%AE%89%E8%81%B7%E3%83%BB%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E8%AD%A6%E9%83%A8%E3%81%8C%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8-%E6%A5%BD%E6%9B%B8%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E5%B1%B1%E5%8F%A3-%E7%A7%80%E7%AF%84/dp/4806132926/ref=pd_sim_b_1

(注)役職は当時のもの

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