(物語) 59歳のルーキー

2009年ワールドベースボールクラッシック決勝戦。それまで不調だったイチロー選手は快心の二塁打を放ち、日本の連覇に大きく貢献した。今や大リーグで大活躍する世界のイチロー選手がまだ無名だった時代、打撃コーチとして育てのはあの人だった。

同じくオリックスから大リーグのセントルイス・カージナルスに移り、ワールドシリーズで日本人初安打を放った田口壮選手。あの人が病床から送ってくれたメールを今でも心に刻んでいる。

福岡ソフトバンクホークスの主力を担う小久保裕紀選手。巨人在籍時にスランプに陥ったことがある。その時、あの人はこうアドバイスをした。「みんなお前を怖がっているんだ。「さあ、いらっしゃい」という気持ちでいったらいいよ」

イチロー、落合、高沢、田口、小久保といった名だたる名選手を30人以上も育て上げた伝説の打撃コーチがいる。彼の名を、高畠導宏といった。


第一章 岡山南高校

1944(昭和19)年、高畠さんは岡山県に生まれた。小学校時代から並外れたパワーの持ち主と知られ、野球も相撲も常に一番だったという。中学卒業後は岡山南高校に進学、声出しや玉拾いから始まるのが常の高校野球で、高畠さんは初めからレギュラー入り。しかも打席はクリーンナップの3番だった。高畠さんを含めた岡山南高校は、県大会で常にベスト4を争う強豪校になった。

この岡山南高校で、高畠さんは生涯の恩師と出会う。服部与人(よひと)監督である。服部さんは厳しいながらも常に野球部員のために奔走していた。練習で出席が足りない部員のために、各教科の先生の所へ頭を下げて追試のお願いをしたり、部員が何かに悩んでいた時には夜遅くまで聞いていたという。高畠さんはそんな服部さんを心から信頼していた。

第二章 中央大学

高校卒業後、服部さんの紹介で四国松山にあった丸善石油に就職し、野球部へ入部した。ところが、会社の都合で野球部が突然閉鎖されてしまう。そこで高畠さんは社会人野球を経てから中央大学へ進学するという異例のコースを歩む。

高畠さんの人柄を表すこんなエピソードが残っている。

当時の中央大学野球部は、先輩から後輩へのいじめやいびりが恒常化していた。レギュラーが2年生や3年生よりも高畠さん達1年生が多く占めるという屈折した事情があった。しかし、高畠さんは理不尽なことは許さない人だった。自らが全責任を取る覚悟でひどいいびりを行う先輩を呼び出し、叩きのめしてしまった。普段温厚なだけに呼び出された先輩の方が震え上がってしまったという。この一件を境に中央大学野球部の雰囲気は一変する。

中央大学卒業後に高畠さんは日鉱日立へ入社、再び社会人野球へ戻った。そして1967(昭和42)年、高畠さんはプロ野球南海ホークスへ入団する。大学と社会人で抜群の成績を誇って入団した高畠さんには大きな期待が寄せられていた。しかし、運命がそれを許さなかった。

第三章 挫折を越えて

厳しいプロの世界では一瞬のプレーがセーフかアウトかを左右する。スライディングは、ベースやボールめがけて飛び込む技術である。過去何度もこのスライディングで多くの選手が故障してきた。最近では阪神タイガースの赤星選手が、脊髄を損傷して引退を余儀なくされたことは記憶に新しい。高畠さんもこのスライディングによってその選手生命を大きく変更せざるを得なかった一人である。

広島県呉市で行われた春季キャンプ。繰り返し行われたスライディングの練習中に事故が起こった。左肩を脱臼してしまったのだ。激痛が走り、2週間ほど肩を動かすことができなかった。しかし、首脳陣は高畠さんに新人王を取らせると意気込み、大きな期待を寄せていた。長期間休むことはできない。すぐにオープン戦が開幕、痛みを我慢しながら高畠さんは試合出場を強行、そこそこの結果を出してしまう。そしてペナントレースが開幕する。

開幕の年、高畠さんの記録はわずかヒット5本。チームは最下位に沈んだ。周囲の期待を大きく裏切る結果になる。新人王どころの話ではなかった。南海首脳陣は、新しい監督にまだ現役の選手として活躍する一人の男に球団を託した。男の名前を、野村克也と言った。

当時32歳だった野村新監督は、「野球とは全力で走り投げて打って走るものだ」という既成概念に疑問を持っていた。そんな野村監督が信頼を寄せていたのが尾張久次という、日本球界初のスコアラーだった。元々毎日新聞の記者だった尾張さんは、野球が終了してから次の日の試合開始までの時間を使って、その試合でピッチャーが投げた配給を1球1球記録していた。ストレートは○、ボールは●、高めだったら○●を大きく書き、低ければ小さく書く、といった感じだ。こうすると、そのピッチャーの癖や配給が一目瞭然になった。「尾張メモ」と呼ばれたこの配給用紙に目をつけたのが、南海の蔭山和夫ヘッドコーチと野村監督だった。後に「ID野球」と呼ばれる野村野球の原点がこの尾張メモにある。

「おい高、まだ行けるぞ」

すっかり自信を失っていた高畠さんに、野村監督はこう声をかけた。そしてもうグラブは要らない、バット1本にかけろと言われる。そしてピッチャーの配給を読み、癖をつかめと教え込まれる。恐らくこの稿の読者の皆さんは、野村監督が今では「野村再生工場」と呼ばれ、多くの選手を立ち直らせたことをご存知だろう。高畠さんはその第一号だった。高畠さんは、ここぞという時に代打に起用され、「ひと振り」の勝負に野球人生をかけるようになる。

入団三年目。スタジアムに「代打、高畠」のアナウンスが流れると、ファンから大声援が送られる光景が普通になっていた。だが肩の痛みは限界を超えていた。学生や社会人時代の豪快さはもはや面影すら無くなっていた。野村監督から現役を引退し、打撃コーチに就任するように告げられる。出場258試合、377打数99安打、ホームラン8、打率2割6分3厘。それが高畠さんの生涯成績である。

打撃コーチに転向した高畠さんは、様々なアイデアを思いつき、実行に移していく。鉛の入った重いボールを使ったティーバッティング、スポンジを丸めたボールを打つ練習、フェンス越しにバットを次々に放り投げていく練習など、他のコーチが考え付かない練習ばかりだった。高畠さんの基本方針は選手の長所を伸ばすこと、短所を直すのではなく他の選手よりも優れているところを徹底的に伸ばすこと、そして選手と二人三脚を組んでその選手の持つ能力を最大限発揮させることだった。その基本方針は生涯変わることはなかった。南海退団後、ロッテ、ヤクルト、ダイエー、中日、オリックス、ロッテそしてダイエーと渡り歩いていく。落合、田口、イチローそして小久保選手を育てるのはこの頃である。

第四章 転機

打撃コーチとして名声を得ていた1993年、転機が訪れる。高畠さんが打撃コーチを務めていた福岡ダイエーホークス(当時)は、チーム打率最下位に沈んでしまった。原因は新球場にあった。それまでの平和台球場に比べ新しくホームグラウンドになった福岡ドーム球場(現ヤフードーム)は、ライト・レフト両翼のフェンスの高さが4メートル高くなった。さらに、ホームからフェンスまでの距離が8メートル伸びた。これらが心理的な要因となり、選手たちが萎縮してしまったのだ。高畠さんは自分の無力さを痛感し、心理学とカウンセリングの重要性を知った。

試行錯誤の末、1998年に高畠さんは日本大学通信教育学部への入学を決意する。忙しい社会人にとって、通信教育は強い精神力が必要である。高畠さんは試合の後に深夜まで勉強に明け暮れた。若い選手に勉強を教えてくれと頼むこともあった。当初、心理学の勉強が目的で始めた通信教育だったが、教育免許の取得を考えるようになる。中央大学時代に法学部だった高畠さんは、教職課程を追加取得して2週間の教育実習を行えば教員免許状が取得できる。通常要する期間は2年ほどだ。しかし、高畠さんは5年かかってようやく教育実習を行うことになった。高畠さんは58歳になっていた。

教育実習は、21歳から24歳くらいまでの大学4年生が母校で行うことが多い。高齢の高畠さんは、教育実習の受け入れ先を探すのに苦労した。友人に頼み、受け入れてくれる学校を必死で探した。苦労の末、紹介されたのが福岡県の大宰府の近くにある私立筑紫台高校だった。教育実習の2週間という時間はあっという間に過ぎていった。教壇の上に立つという今までにない経験をした高畠さんは、教師という仕事に新しい魅力を感じるようになる。そして、新しい夢が生まれた。それは野球部の監督になって、甲子園を目指すことだった。

最終章 59歳のルーキー

教育実習を終えた高畠さんは、筑紫台高校の隈本豊校長から来年是非我が校に来て下さい、と熱心に誘われた。だが、この時複数のプロ野球の球団から打撃コーチの打診が来ていた。普段我々には見えないが、プロ野球界とアマチュア野球界の間には深い「線引き」が存在する。「プロアマ規定」と呼ばれるもので、特別な許可を得た場合を除き、プロ野球選手やコーチが普通の高校生や中学生を教えることはできない。高畠さんの場合、プロ野球のコーチを辞めた後、2年間は筑紫台高校の生徒を教えることはできなかった。悩んだ末、高畠さんはある人に相談することにした。岡山南高校時代の恩師、服部先生である。新幹線岡山駅前の喫茶店で高畠さんは服部先生と再会した。服部先生はこうアドバイスした。「先生になって、悩んでいる子供のカウンセラーになったらいいよ」。高畠さんは決断した。

2003年4月7日、筑紫台高校の始業式。この年の新人教師は5名。多くが20代の教師の中でただ一人、59歳のルーキーがいた。そのルーキーは、多くの苦労と挫折を経験し、地道な努力で困難を乗り越えてきた強く優しい男だった。壇上で生徒に向かってこう語りかけた。

「高畠導宏です。59歳の新人です。私はプロ野球という世界で35年間、野球一筋に生きてきましたが、昨年の教育実習でみなさんと出会い、挑戦者魂が再び沸き起こりました。(中略)。みなさんの将来の糸口を探す手助けをするために、命をかけてバックアップしたいと思います」
(引用)門田隆将「甲子園への遺言」

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高畠さんが教壇に立った時間はわずか1年と1ヶ月だった。その短い時間の中で、多くの生徒達の中へ飛び込んでいった。高畠さんはこんな言葉を残している。

「失敗は、成長するためにどんどん経験すべきだ」

「人には負けてもいいんだ。自分にさえ負けなければ、いつかチャンスは巡ってくる」


ある日。高畠さんは病院で精密検査したところ、立っているのが不思議なくらい病気が進行していると言われた、と生徒達に語った。困惑する生徒達の前で、高畠さんは敢然と黒板に「氣力」と書き、こう語った。

「君達はこれからの人生で様々な困難にぶつかるだろう。もうだめだ。そういう時が何度もあるだろう。そんな時、この言葉を思い出して欲しい。「氣力」。氣力で困難を乗り越えて欲しい」



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(参考文献ならびに引用)

門田隆将「甲子園への遺言」(講談社)pp28-29 ほか
http://www.amazon.co.jp/%E7%94%B2%E5%AD%90%E5%9C%92%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%BA%E8%A8%80%E2%80%95%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%AE%E6%89%93%E6%92%83%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%81%E9%AB%98%E7%95%A0%E5%B0%8E%E5%AE%8F%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B6%AF-%E9%96%80%E7%94%B0-%E9%9A%86%E5%B0%86/dp/4062129663

NHK「もうひとつのフルスイング」(2008年12月25日放送)
http://www.nhk.or.jp/dodra/fullswing/

筑紫台高等学校 高畠導宏先生 展示コーナー
http://www.chikushidai.ed.jp/fullswing/fullswing.html

日本野球機構 オフィシャルサイト
http://www.npb.or.jp/




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(波乗り日記) 鵠沼

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気温16度 快晴 波:セットヒザ 風 :ほぼ無風

およそ8ヶ月ぶりの鵠沼。季節は冬だというのに、この日はとても暖かった。スケートボードパーク前に車を止める。入場ゲートが自動になっていた。車を海の近くに止めると、ちょっと懐かしい鵠沼の光景が目に飛び込んできた。

用意をして早速海へ。やはり鵠沼、なかなか混んでいる。この日は比較的暖かったので、陸で休憩しながら波乗りをしました。南房総もいいけど、やはり湘南はいい。
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夕日が綺麗でした。
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来年もいい波に乗れますように

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(波乗り日記) 外房シークレット 

晴 気温14度 波 コシ(ダンパーで崩れやすい)風 強いオンショア

湘南はフラット、千倉。平砂浦はアタマという極端なこの日、初心者を教えることになっていたのだが、いつもの友人と波乗りへ行く感覚でシークレットに来てしまった。通常、私が初心者を教えるのは鵠沼と決まっている。それは海底が遠浅でボードの後ろから押してあげることができるからだ。ところが、ここは海底がすぐに深くなってしまう。ちょうど西湘あたりの地形に似ている。

残念ながら初心者には厳しかったようだ。鵠沼でリベンジすることにしよう。
  

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(ショッピング) ODOYA(おどや)

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南房総地区にあるスーパーマーケットがODOYA(おどや)である。写真はODOYA千倉店。全国の中堅・中小のスーパーマーケットで作るアライアンス「CGCグループ」に所属しているので、同じくCGCグループに属するJR南武線駅前の「トップ」と、品揃え等の芸風が似ている。
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よく波乗りのトリップに出かけるとコンビニ立ち寄る人が多いが、スーパーマーケットの方が絶対に安い。さらに「フラワーカード」というポイントカードがあり、100円で1ポイント貯まる。ポイントカードは館山市民・南房総市民でなくても作ることができる。カードは川崎市の多摩区まできちんと郵送されてきた。ポイントカードは申請から発行まで週間ほどかかるので注意が必要だ。なおカードの作成には100円かかる。
http://www.odoya.com/flowercard/card_info.htm
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私のブログによくスーパーマーケットの話が出てくると思うが、私は国内でも国外でもスーパーマーケットへ行くのが好きである。そこに住む人達の素顔が垣間見られるからだ。厳しいデフレの時代だが、地元に密着したスーパーマーケットをこれからも応援していきたい。


ODOYA(おどや)公式ホームページ
http://www.odoya.com/

CGC
http://www.cgcjapan.co.jp/


このODOYAポイントカードの大冒険が今始まる。

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(湯) 里見の湯

この季節、海で冷えた体を温めるのは日帰り温泉かスーパー銭湯である館山郊外にある「里見の湯」は、お値段も手頃で設備も新しく、種類も充実している。会員ポイントカードもあり、会員料金でさらにおトクになる。
JR館山駅から無料送迎バスもある。

南総城山温泉
http://www.satominoyu.com/

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(波乗り日記) 平砂浦

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気温17度 波 セット腰 風 オフショア

最初、千倉へ行ったが風で波の形が崩れている。なので、例によって平砂浦へ移動した。
この日の平砂浦は、比較的暖かいコンデション。フェイスも綺麗。波もそこそこ良い。風が冷たく、陸に上がっているよりも、海の中へ入っていた方が暖かかったです。

ライディングは絶好調。全部で17本くらいは乗ってしまいました。

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(旅日記) 上島珈琲店(川崎東口店)

羽田空港から京浜急行で川崎へ。旅の締めくくりは本物の「上島珈琲」。UDCではなく、ちゃんとUCCである。

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(旅日記) 虹橋空港から羽田空港へ

ホテルをチェックアウトして、いよいよ帰国。上海虹橋(ホンチャオ)空港は、昔ながらの空港である。先に書いたとおり、浦東(プートン)空港が新しくできたので、この空港は今では国内線がメインである。羽田の国際化が断片的に進められて、韓国の金浦空港、香港のチャプラコック空港とこの上海だけ、羽田から直行便が飛んでいる。一応チャーター便ということになっているが、マイルも普通にたまる。

チェックイン時点で、手持ちのお金はほとんどない。小銭をかき集めてようやく6元の水を買った。それにしても閑散としている。ほとんど乗客がいない。JAL便だけではなく、ANA便も少ないようだ。おかげで座席は3列独り占め。こんなのは随分久しぶりだ。

2時間少し飛んで羽田空港上空へ。「当機はこれより羽田、東京国際空港へ着陸いたします」という、国際線では聞き慣れない機内アナウンスが流れる。いつもは「成田、新東京国際空港へ着陸いたします」というので、不思議な感じである。そして着陸。17時前なので、いつも南房総へ行く時に使う国道409号線が見える。また、建設中のD滑走路も見える。国内旅行はほとんどJRか車の私には、羽田空港は珍しいのだ。

無事着陸し、降機する。税関がめちゃくちゃ厳しい。たぶん暇なのだろう。税関が終わると入国審査へ。標識こそ成田と同じだが、規模がとにかく小さい。入国審査を終えて、第一ターミナルビルへ向かうバスに乗る。現在の羽田空港の国際線ターミナルビルは、まるで地方空港と同じだ。出発フロアと到着フロアが同じになっている。シンガポールのチャンギ空港とある意味同じ構造だが、チャンギは免税店がいっぱいあり、ホテルもプールもあり、さらにお祈り部屋(Prayer Room、宗教の方向け)まであるので規模が違うが。

ターミナルの外へ出る。そこで感じたのは「空気がとてもおいしい」ということ。上海は至るところで工事が行われており、しかも上海を含め主要都市が発展段階で、日本の高度経済成長期と同じ状態にある。よって、大気汚染がひどい。北京オリンピックで多くの国の選手団が九州にキャンプを張った、ということを思い出した。

バスは現在増設工事中の第二ターミナルをかすめつつ、第一ターミナルへ到着。ここには京都名物のお土産物屋さんの「よーじや」と、ニューヨークのスーパーマーケット「Dean & Delca」のカフェがある。

今日は「Dean & Delca」に寄ってみました。


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(ショッピング) H&M、ユニクロ、ZARAとカルフール

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今話題の「H&M」に入ってみた。日本では確か銀座と原宿と渋谷にあったはず。中を見ると、見事にユニクロと芸風がかぶっている。そのユニクロは、ここ上海でも人気。松山ケンイチさんの広告は中国でもそのままだ。ただし、通貨表示は中国元(RMBという)になっている。さらにZARAもある。これはラゾーナ川崎店とほぼ同じ感じの店構えである。

最後に、フランスでも行ったカルフールに行ってみた。カルフールでチェックしたのは500mlのペットボトルの水のお値段。だいたいこれでその国の物価が分かる。安いもので1元60角~2元くらい。1元が約15円なので、22円から30円くらいだ。エビアンはもっと高かかったがそれでも日本よりははるかに安い。
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中国が世界の工場な理由が肌で分かりました。

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(旅日記) 上海の上島珈琲

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上海に「上島珈琲」なるものがある。しかしよく見ると「UCC」ではなく「UBC」になっている。さすがは中国である。

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