(季節) 夏の訪れ

「水無月」というのに、雨の日が多い。紫陽花の花びらはさぞ喜んでいるだろう。
梅雨の合間、太陽の光がまぶしく海岸に降り注いでいる。

風鈴、蝉、花火、盆踊り。
もう少しで、一番好きな季節がやってきます。

テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

(音楽) "Just Dance" LADY GAGA

オーストラリア、英国、アメリカ一番ホットなでテクノポップと言えば、このレデイー・ガガ(LADY GAGA)をおいて他にいない。ガガは、ニューヨーク在住の22歳イタリア系アメリカ人である。ガガという名前は、ニューヨークのクイーンズの歌「Radio GAGA」から取ったもの。
http://www.ladygaga.com/bio/

彼女は、難関の New York University(ニューヨーク大学)入学前から既にその頭角を表し、在学中も楽曲の提供を行ってきた。メジャーデビューのシングル曲"Just Dance"はたちまち世界中で大人気。US、UKともヒットチャートで一位を獲得した。ファーストアルバム"THE FAME"では、作詞・演奏も自ら行っている。特筆すべきはそのダンスにある。映像を見てもらえば、彼女のダンス力のすごさが分かって頂けるだろう。その素顔は実に可愛らしい女の子である。

"Just Dance"の他に"POKER FACE"もお勧め。

このGAGA,今年の夏日本で行われるSummer Sonic 09出演が決定。日本でブレイクす日もそう遠くはないだろう。

LADY GAGA official HP
http://www.ladygaga.com/default.aspx

LADY GAGA 日本語HP(ユニーバーサル)
http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/lady_gaga/index.html

You Tube / Just Dance
http://www.youtube.com/watch?v=E_SlvzgJDiI&feature=channel

YouTube / Poker Face
http://www.youtube.com/watch?v=EPaSQ7xOhg0&feature=channel

テーマ : 洋楽ロック - ジャンル : 音楽

(波乗り日記) 鵠沼 (プールガーデン前P)

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晴 気温31度 波 ジャンク たまにムネ 風 強いオンショア

最近千葉にばかり行っていたので、久々の鵠沼です。小田急鵠沼海岸駅からボードを預けてあるショップまで歩く。合計3枚持っているボードのうち、鵠沼に預けているボードの出番が一番少ない気がする。千葉や伊豆も大好きだが、湘南の持つこの雰囲気はいい。特に途中の商店街が好きです。いつの日か、この鵠沼海岸に家を買い、オーストラリアに別荘を持つのが私の夢です。
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この日の鵠沼は強いオンショアが吹き、フェイスはぐちゃくちゃ。丁度1月の鎌倉・由比ヶ浜で入った時と似ている。とにかくパドリングも厄介だったが、ブレイクポイントが分からないので必死でパドリング→テイクオフというパターンが続く。
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夕方になり、幾分ましになってきた。たまにいい波が入ってきて、一度ライディングするとかなりのロングライデイングが可能で面白い。この前行った外房シークレットよりも長く乗れた。

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遠く片瀬西浜を見渡すと、夏の名物白杭が打たれていた。
もうすぐこの湘南に、一番素敵な季節がやってきます。

テーマ : サーフィン・ボディボード - ジャンル : スポーツ

(音楽) two 友 (ゆずグレン)

09年最初の「夏うた」は、ゆずとキマグレンのコラボユニット、ゆずグレンの「two友」。なんでも昨年キマグレンのイベントにゆずが遊びに行って、同じ神奈川県同士ということで意気があって一緒に歌を出そうということになったとか。

歌はゆずのテイストが色濃く出ているが、メロディーは爽やかで軽快だ。この歌を聴きながら湘南の134号線を走ったら、ドライブをより心地いいものにしてくれるだろう。このPVに移っている海は、勿論キマグレンの故郷、逗子海岸である。

大好きな夏が、今年もまたやってきます。

ゆずグレン
http://www.universal-music.co.jp/yuzuguren/

PV
http://www.youtube.com/watch?v=ZlBZQmWscRA&feature=related


歌詞
http://listen.jp/store/artword_1179624_77064.htm

テーマ : j-pop - ジャンル : 音楽

(波乗り日記) 千倉

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晴れ 気温28度 波セットコシ 風 無風

今年、千倉に来るのはもう5度目になる。東京湾アクアライン、館山自動車道の全通は南房総への距離を圧倒的に縮めた。この前行った外房シークレットPよりもはるかに早くついてしまう。

問題なのは千葉に入るまでの川崎市街地をいかに早く抜けるかにある。この稿の筆者は、川崎市の北部登戸周辺に住んでいる。まともにアクアラインのある浮島まで行くと、二子橋、丸子橋、ガス橋、川崎駅周辺と渋滞ポイントを通過しなければならない。これは帰宅時も同じだ。しかも川崎には南北を横断する高速道路がない。これは東京、横浜にも同じことが言える。(但し横浜では、横浜環状北線、南線を整備中である)
http://www.yokokan-kita.com/public/index.html

そこで「裏技」を使う。それは第三京浜・京浜川崎から横浜方面へ走り、首都高横羽線、狩場線、湾岸線を使って浮島JCTへ向かい、そこからアクアラインに乗るというものだ。距離は長くなるが、渋滞は回避できる。この日もこのルートでアクアラインを経由し、館山道路、富津館山道路を走り、千倉を目指した。

この日の千倉の波は、ややダンパー気味。でもフェイスはきれいで、アウトサイドからきちんとブレイクしていた。さっそく波乗り開始。水が温かい。もうスプリングで十分だろう。初めの数本はいいかんで乗れたが、セット間隔は時間がたつにつれて長くなっていく。ロングライドができたのは最初のうちだけだった。次第に潮があげてきて、ブレイクしづらくなっていく。結局9本くらいは乗ったが、満足いくのは最初の数本だけ。こんな日もあるでしょう。

初夏の訪れを感じた一日でした。

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テーマ : サーフィン・ボディボード - ジャンル : スポーツ

(物語) 自由を求めて~庶民が作った五日市憲法~

「サマーランド」で有名な東京西部の街、あきる野市。あきる野市は、秋川市や五日市町が合併してできた市である。JR武蔵五日市駅から歩いて10分ほどの所に、ある碑文が建てられている。「五日市憲法草案の碑」という。

1868年、薩摩(現鹿児島県)、長州(現山口県)と土佐(現高知県)藩を主力とする明治新政府軍は、旧江戸幕府軍と激しい戦いを繰り広げていた。鳥羽伏見の戦いから続く戊辰戦争では、東北諸藩は幕府側について戦った。仙台藩士だった千葉卓三郎も、戊辰戦争で戦った一人だった。しかしかれは戦いに敗れ、命からがら五日市の街にやってきた。

箱館(現函館市)の郊外にある近代要塞五稜郭で繰り広げられた最後の戦いで、旧江戸幕府軍は降伏した。厳格な身分統制が四民解放政策によって廃止され、新しい時代が到来した。しかし新しい時代の到来は、既得権益を持つ者たちの反感を買うのが世の常である。江戸時代を牛耳ったのは武士達だった。彼らにとって、明治維新は既得権益の奪取以外何でもなかった。不平士族の反乱が全国で起きた。その最大のものが鹿児島県で繰り広げられた西南戦争である。1877年に起こったこの戦いで西郷隆盛が没すると、知的階層の人々は武力では明治新政府を倒せないことを知る。そして彼らは、武力ではなく言論によって自由を獲得していこうとする「自由民権運動」を進めていく。

嚶鳴社(おうめいしゃ)とは、東京に本社を置く政治結社である。自由民権と国会の開設を強く求めた。1880(明治13)年に八王子に、続いて五日市に支社を設立した。この嚶鳴社に呼応するように「学習政治結社学芸講談会」が発足、この会は深沢権八、そして五日市勧能学校に努めていた千葉卓三郎がその中心を担った。

深沢権八は名家の出身である。豊富な財力を持ち、出版された書物のほとんどを購入して学芸講談会に提供していた。水運が盛んだったこの頃、多摩川の支流である秋川のおかげで、世の中の情報には敏感だった。さらに五日市という街はよそ者にも温かい街で、多くの人間が移り住んできたという。深沢と千葉たちは学芸講談会の会員とともに盛んに討論し、自由と人権について真剣に議論を重ねた。当時の資料を見ると「女性の天皇を立てるべきか」とか「議員に給料を支払うのは妥当か」といった今日でも議論されている内容が散見される。そしてその集大成が、全204条からなる「五日市憲法草案」である。

この五日市憲法草案は国民の権利に重点を置き、人権、地方自治や教育に多くの条文が盛り込まれ、今日の日本国憲法に劣らない内容を誇る。24枚もの和紙に書かれた条文の冒頭にはこう書かれている。

「日本国民ハ各自ノ権利自由ヲ達ス可シ、他ヨリ妨害ス可ラス、且国法之ヲ保護ス可シ」(日本国民は、各自の権利の自由が保証され、何者にも侵されることはなく、且つ憲法は国民の権利を保護しなければならない)

このような民間人が作った憲法試案は「私擬憲法(しぎけんぽう)」と呼ばれ、全国で約60ほど作られたと言われている。これらは当時の日本人の自由と人権への意識の高さを証明している。結局のところ、伊籐博文らによって策定した「大日本国憲法」が公式な憲法として採用されるのだが、深沢や千葉達の思想は今日においても傾聴に値するものである。

この五日市憲法草案は、1968(昭和43)年に旧五日市町(現あきる野市)の旧深沢家の土蔵において、東京経済大学の色川大吉教授らによって発見された。原本を含む資料は、2004年にあきる野市に寄託され、現在はJR秋川駅の近くにあるあきる野市中央図書館にて保管されている。

(参考文献)
あきる野市中央図書館 デジタルアーカイブ
http://archives.library.akiruno.tokyo.jp/

五日市郷土館
http://www.city.akiruno.tokyo.jp/index.php?dtype=1000&oid=567&pid=127

東京新聞2008年10月8日 夕刊

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

(ショッピング) ファッションセンターしまむら

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ずっと気になっている店がある。それが千葉に波乗りに行くと一度は目にする「ファッションセンターしまむら」である。

“激安ファッション”拡大 今夏は「しまらー」街を席巻!?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090529-00000050-san-soci

「しまむら」は完全に商品を買取、自社物流網を構築している。特に有名なのが「ハンガー」単位の商品管理である。商品の入荷、返品、交換を「ハンガーにかけたまま」行うことにより、流通コストを下げ、どの商品が売れてどの商品が売れていないかを一品単位で的確に把握している。金融恐慌で多くの大企業が赤字決算に傾く中、2009年3月期の「しまむら」の連結売上高は4, 100億円、連結経常利益高350億円と大変立派な数字である。
http://www.shimamura.gr.jp/finance/file/2102.pdf

マーケティング戦略 事例研究会
https://www.bc-seminar.jp/BcSeminar/SeminarUser/SU030003.aspx?link=SU110003&scid=101230000&sid=000001512

この「しまむら」のバリューを一気に上げたのは、読者モデル出身のカリスマギャルママ、益若つばささん。
http://www.masuwakatsubasa.com/

これまで一度も入店したことがなかったが、ついにこの日がやってきた。波乗りの帰り道、大原の「しまむら」に立ち寄ってみた。入店前は30~40代のおばちゃん服がメインの店かと思っていたが、意外にも10代~20代向けのギャル向けの服が多くてびっくりした。さらにふとんやリビング用具、紳士服まで売っている。値段は既知の通り、異様な安さである。ドン・キホーテよりも安いものもあった。
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結局、EDWINのボクサーパンツ490円(丸井だと1000円くらい)、同タンクトップ380円(ジーンズメイト1980円)の2つを買ってみた。

これで私も立派に「しまらー」の仲間入りである。


イケてない!? でも身近さが人気――しまむら好調の秘密
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0905/21/news006.html

ファッションセンター「しまむら」
http://www.shimamura.gr.jp/shimamura/

テーマ : セレブスタイル - ジャンル : ファッション・ブランド

(波乗り日記) 外房シークレット

雨一時曇り 気温23度 波 セットコシ 風 無風
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この日は千葉の太東が大会で入れず。しかも濃霧で波情報も「不明」となる悪コンデイションだった。
太東から国道122号線を南下、。大原、御宿を越える、愛車オデッセイのエンジンが唸りをあげます。目指すは外房シークレットポイント。千葉は不思議と御宿を境に天候が大きく変わる気がする。霧も一気に晴れた。ここは波情報には載っていないポイントだ(知っている人はしている)。海が美しく素晴らしい。川崎の登戸からここまで約4時間。今や高速道路が全通した南房総の千倉の方が早く着いてしまいます。

波はフェイスがとても綺麗。セットで入ってくる波はパワーがあり、十分楽しめそう。さあ、波乗り開始です。

一番右へ陣取り、早速ロングライデイング。今日は9'2のロングボードを持ってきた。レギュラー・グーフィーと巧みに波に乗っていきます。そして会心の一撃です。波は肩くらいだっただろう。フェイスはパーフェクト。今年一番の波でした。テイクオフして左へ、そしてターンして右へ、そしてカットバックを入れて左へ右へ。なんて最高なんだ・・・

結局20本は乗ったかな?
素晴らしい一日でした。
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テーマ : サーフィン・ボディボード - ジャンル : スポーツ

(歴史小話) 国境を越えて1~エルトゥール号事件と山田寅次朗~

エルトゥール号

1889年(明治22年)7月15日。オスマントルコ帝国イスタンブール港を一隻の軍艦が出航しようとしていた。2年前に日本から皇族の訪問を受けたその返礼として、時の皇帝アブドゥル・ハミト二世は、オスマン・パシャ海軍少将を全権特使として使節団を結成して日本へ向かわせた。この時、バシャ少将を乗せたのが軍艦エルトゥール号だった。

エルトゥール号は総排水量2344トン、全長は約46メートル、機関は600馬力の木造巡洋艦だった。この老朽艦が、後のバルチック艦隊とほぼ同様のコースを辿って日本までの長征についた。ただバルチック艦隊との違いは、当時イギリスが支配していた紅海のスエズ運河を通過したことだ。(バルチック艦隊の一部もスエズ運河を通過しているが、本隊ははるかアフリカの喜望峰を回った)

エルトゥール号は、旅の途中で故障しながらもインド、シンガポール、仏領インドシナ(現ベトナム)、香港、中国を経て、1890年6月7日についに横浜港へ辿りついた。使節団は、大日本帝国の明治天皇に謁見し日本各地で大歓迎を受けた。

嵐の中の出港

9月14日。使節団は一連の予定を終えて帰国の途につこうとしていた。しかし日本政府は9月は台風の季節であり、エルトゥールル号が老朽化していることから出航を延期することをすすめた。だが、一行は日本政府の勧めを丁重に断り、出港した。横浜から紀伊半島を通って神戸港へ向かうエルトゥール号。その時、嵐が近づいていた。

遭難と大島村民

紀伊半島熊野灘樫野埼付近。エルトゥール号は台風の直撃を受けて座礁した。船底から浸水、蒸気機関が爆発して炎上、ついには海の藻屑と消えていった。この遭難で、オスマン・パジャ少将以下650名が海に投げ出された。 士官ハイダール以下69名は、艦の破片にすがって約3時間ほど漂流、樫野崎灯台下の砂浜にはい上がり、助けを求めた。

大島村樫野区民高野友吉は、海の上からの爆発音を聞き、灯台看守に知らせるために灯台に向かっていた。当時はまだ、江戸時代から続く風潮で、異国船の進入に過敏になっていたのだろう。彼は見たこともない異国人が弱りながら歩いている姿を目撃した。彼はあり合わせの着物をその異国人に着せ、傷の治療をしながら夜明けを待った。そして区民に通報して、互いに助け合って丁重に介抱し、夜明けを待った。

夜が明けた。彼は大島村長沖周、古座分署長小林従二に報告したところ、村民達も急を聞き応援に駆けつけた。沖村長は県庁に緊急打電し、樫野、須江両区長と協力し、生存者を急造の担架で大島区の蓮生寺に送った。蓮生寺では村医が遭難者の治療を担当した。

大島村民は各戸に蓄えているわずかな食料を傷ついた将兵達に与えた。だが彼らは貧しい漁民。自らの食べ物さえ事欠いている有様だった。乏しい食料は一夜にして底をついてしまった。そこで、彼らは、非常用に飼っていた鶏などの動物を将兵達に提供することを決意する。蓄えている食料すべてを提供した。

その後捜索が行われ、発見された他の遭難者の遺体はハイダール士官立ち会いのもとに、遭難した船甲羅が真下に見える樫野崎の丘に埋葬した。

村民達の清貧

この話は当時の和歌山県知事から明治帝に上奏された。そして遭難者たちは、明治天皇の命により日本海軍の戦艦2隻で無事トルコに送り届けられた。オスマン・トルコ帝国は、献身的な介護をしてくれた大島村民たちに対し、3000円(現在の約6000万円相当)を贈った。沖村長はこれを銀行に預け入れ、その利息を村のために使った。彼が私腹を肥やすことは無かった。日本政府もまた、大島村民を大いに褒め、彼らに救助に要した費用を補償することを申し出た。だが、村民達はこれを丁重に断り、こう言った。

「今回の事故で多くの方々が亡くなった。どうかその方々のための義捐金に使ってください。」

彼らの気高い精神とその行いは、後に「エルトゥール号事件」として広く世に知られ、日本中に大きな感動と衝撃を与えた。そして一人の若者の心を動かす。その若者の名を、山田寅次朗といった。


山田寅次朗、立つ

山田寅次郎は、旧沼田藩の家老の子である。彼が24歳の時に新聞で目にしたエルトゥール号事件と大島村民の行動は、彼を熱くした。そして全国を練り歩いて演説会を開催し、1年で約5000円(現在の約1億円)の寄付金を集めた。彼は時の外務大臣青木周蔵を訪ねて義捐金をトルコへ送金し、遺族の慰霊金に使って欲しいと願い出た。青木は、意外な返答をした。

「この大金は山田君が集めた天下の浄財であり、貴君自身がトルコへ届けに行って欲しい。」

青木は、山田をトルコ行きの手配をしてくれ、彼は単身イスタンブールへと旅立った。そして民間人としては異例の皇帝アブドゥル・ハミド二世に謁見することを許された。 山田は謁見の際に、山田家伝来の鎧兜と太刀を皇帝に献上した。そしてオスマン帝国の高官は、トルコの青年士官たちに日本語と日本の精神や文化について教えて欲しい、と依頼した。山田はそのままトルコに滞在することになり、士官学校のお雇い講師になった。彼は陸軍士官と海軍士官に日本語と日本の文化・精神論を教えた。教えを受けた士官の中には、後に近代トルコの父と呼ばれるケマル・アタチュルクもいた。

士官学校を辞めた後も彼はイスタンブールに滞在し、日本の工芸品を商う店を構えて日本とトルコの貿易の礎を築いた。その一方で山田は、日本とトルコの共通の敵であるロシアの諜報活動も行った。日露戦争の際には、単身ボスポラス海峡の丘の上に立ち、商船に偽装した敵艦隊出港の秘密電報を打ち、高い評価を受けている。

1914年(大正3年)に第1次世界大戦が開戦。トルコは日本の敵になってしまったため、山田は遂に日本へ帰国した。そして紙巻タバコの洋紙を製造する製紙会社を起した。1923年(大正12年)に山田寅次郎は家元を襲名、宗徧流第8世山田宗有(そうゆう)となった。

第1次世界大戦終結後の1924年、日本はトルコ共和国と正式に国交を結んだ。東京のトルコ大使館の開設に当たって、山田は援助を惜しまなかった。山田はこの年の秋に大阪日土貿易協会を設立して理事長の職に付き、エルトゥール号遭難の地の樫野の墓地に慰霊碑を建てるために尽力した。そして1931年(昭和6年)、山田は17年ぶりにトルコの大地を踏んだ。イスタンブルに滞在して、現地の財界から大歓迎を受けた。そしてケマル大統領にアンカラに招かれて面会した。この時、ケマル大統領は士官学校で山田が日本語を教えていた時、自分もその中のひとりとして日本語を教わったという思い出を語り、丁重な態度で山田に接した。

山田は第二次世界大戦も生き抜き、1957年(昭和32年)に91歳で亡くなった。 (つづく)

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

(歴史小話) 国境を超えて2~友情の翼~

緊迫のテヘラン

山田寅次朗がその豪快な人生を閉じてから28年の月日が流れた。

1985年3月12日。イランとイラクは交戦していた。アメリカの支援を受けたサダム・フセイン大統領は、イランの首都テヘランに対する空爆を下令、そして3月19日20時半以降、イラン上空を飛行する全ての航空機を撃墜する声明を出した。

この時、テヘラン在住の日本人は約1000名。多くの人々は順次脱出していたが、メヘラバード空港に約300名が逃げ込んできていた。日本政府は邦人脱出の手配を進めていたが、調整に時間がかかってしまった。日本国外務省から要請を受けた日本航空(JAL)は、当時テヘランへの定期便を持っていなかったこともあり、3月19日20時半というタイムリミット前にイラン領空を脱出できないことを理由に外務省の要請を断ってしまう。日本からの救援の道は閉ざされた。

野村大使、窮余の一策

欧州へ運よく逃げれた人もいたが、最終的に空港にとり残された日本人は約200人。タイムリミットは刻々と迫っていた。こうした緊迫した状況の中、在イラン日本大使館野村豊大使は最後の一手を打とうとしていた。それは、野村大使が日頃から親交のあったトルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴え、トルコ航空に緊急フライトを要請することだった。ビルレル大使は野村大使の申し出を快諾してくれた。この時、彼は野村大使に対してこう言ったという。「トルコ人誰もがエルトゥール号の遭難の際に受けた恩義を知っている。今こそ、あの時のご恩をお返しさせていただきましょう。」

トルコでも必死に尽力した人物がいた。商社伊藤忠の森永尭は、トルグト・オザルと10年来のつきあいがあった。森永は、当時経済官僚だったオザルが、疲弊していたトルコ経済を日本のようにしたいと強く願っていたことを知り、日本からの技術協力などに尽力していた。やがて彼ら二人の間には、強い絆が芽生えた。

森永はイランの日本人の窮状を知っていた。彼は、今や大統領となったオザルに直接救援機の派遣を申し入れた。ビルレル大使と森永の熱意がオザル大統領を動かした。トルコ航空救援機の派遣許可が下りた。

友情の翼

トルコ政府から要請を受けたトルコ航空本社は、その要請内容に緊迫していた。やがて選りすぐりの機長、アリ・オズデミルに業務命令が出された。アリが業務命令を読み上げた時、スタッフに対してこう言った。「今回は命を懸けたフライトになる。だから命令を拒否してもいい」 しかし、副操縦士以下、命令を拒否する者は誰もいなかった。ある一人が言った。

「我々を待っている人たちがいる。直ちにフライトの準備にかかりましょう。」

トルコ航空の航空機は、トルコのアタチュルク空港を飛び立ち、危険なイラン領空を避けてカスピ海を南下しつつ、テヘランのメヘラバード空港へ急行した。一方、メへラバード空港で救援を待つ日本人たち。そして大空の彼方から1機の航空機の翼が見えた。それは、自分の命を賭してまで駆けつけてくれた友情の翼だった。

時間がない。トルコ航空機は空港に着くなり、出発準備にとりかかる。日本人全員を乗せた。だが、なかなか離陸許可が出なかった。タイムリミットが刻々と近づく。ついに航空機はメへラバード空港を飛び立った。だがまだ安心することはできなかった。タイムリミット前とはいえ、いつ戦闘機からミサイルが飛んでくるか分からなかった。通常、民間の航空機は雲を避けて視界の良いところを飛ぶ。だがこの日は逆だった。なるべく雲の合間に隠れてジグザグに飛び、少しでも身を隠す必要があった。そして離陸してから2時間半後、機内にアリ機長のアナウンスが流れた。

「Welcome to Turkey! (ようこそトルコ共和国へ)」

この時搭乗していた邦人は215名。3月19日20時半のタイムリミット間際に、無事トルコ領空へと帰還した。

15年後の1990年。湾岸戦争開戦時にイラクのバグダッドで人質になっていた邦人を助けるために、アントニオ猪木氏がサダム・フセイン大統領と直接掛け合い、平和を訴えるイベントを提案した。その際にもフライトのチャーターを快諾してくれたのがトルコ航空だった。

さらに1999年8月7日。トルコを大地震が襲い、数え切れない人達が犠牲になった。あの時、命を賭けて救援に駆けつけてくれたトルコの人々に助けられた乗客や森永たちは立ち上がった。銀行マンに商社マン。普段はエリートと呼ばれる人達も、必死になって義捐金を集めた。それはやがて、大きな輪となって日本中に広がっていく。

彼らの姿を、今は安らかに眠る旧大島村民、山田寅次朗達も誇りに思っているだろう。

(文中敬称略)

トルコは、難しい歴史を持っている。伝統的に商売上手なこの国も、EU加盟、移民、キプロス、そしてクルド人の問題等抱える問題は少なくない。だが日本との心理的な距離はきわめて近い。

いい面も悪い面も。歴史を学び、歴史に学ぶことが重要ではないか。

(参考文献)「トルコの時代」
http://www.turkey.jp/2003/index.html

「在日トルコ大使館」
http://www.turkey.jp/jp/indexJP.htm

「クルドの独立、トルコの変身」(田中宇の国際ニュース解説)
http://tanakanews.com/070209kurd.htm

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

(湯) RESTA

久々に池袋のRESTAでのんびりしたい、今日このごろ

http://www.timesspa-resta.jp/

テーマ : 湯巡り♪ - ジャンル : 旅行

(物語) 逆境を乗り越えて

その時、買収提案を受けていた取締役の男性は男に向かってこう言った。

「みんなお金のためだけに働いているんじゃない。仕事のやりがいや夢、いろんな目的を持って働いているんだ」 

それに対して男は冷たくこう言い放った。

「みんなお金のために働いているんでしょ?あなただって、無給でボランテイアで働けと言われたら働かないはずだ」

その取締役は絶望的な気持ちになったと振り返っている。「あいつらは金に魂を売ったんだ。こんな企業がずっと続く訳がない。」 冷たく言い放った男の名を、堀江貴文といった。

堀江貴文は、東京大学在学時に「オン・ザ・エッチ」を起業し、その後度重なる企業の買収を重ね急成長を遂げていった。その買収された企業の一つが「ライブドア」である。さらにプロ野球近鉄バッファローズの身売り騒動では買収に名乗りを上げ、その名を世に知らしめた。多くの人が日本を変えるのは堀江だと称えた。その秘書とともにマスコミに盛んに取り上げられていった。しかし実際の成長は行き詰まりを見せていた。堀江やライブドア経営陣が思いついた策。それは、最先端の金融工学を駆使した様々なインチキ錬金術だった。

その一例がMoving Strike Compatible Bond(MSCB 転換価額修正条項付き転換社債型新株予約権付社債)と呼ばれるものだ。MSCBとは、簡単に言えば証券会社などが行う「カラ売り」を利用した金融商法である。時価発行増資が難しい企業でも、このMSCBを使えば資金調達が可能だった。しかし、MSBCは株式の追加発行が容易にできるので、既存の株の価値は希釈してしまう。この頃堀江が盛んに唱えていたのは株主の重視だった。多くの人が堀江を支持したのは、この考え方に賛同したからだろう。しかしMSCBの発行が如実に物語っているように、その実態はかけ離れたものだった。さらに株式の100分割、時間外取引を利用したニッポン放送株の取得など、ありとあらゆる手段を使ってライブドアは業績があたかも伸びているように見せかけていた。

2006年1月16日。東京の六本木ヒルズに数台の車が乗りつけた。乗っていたのは東京地検の検事達。向かう先はライブドア本社。強制捜査の始まりは、時代の寵児ともてはやされていた堀江の凋落の始まりを意味していた。

~~
あの頃を、ライブドアネットサービス事業部システム開発グループ(当時)の谷口公一さんは、こう振り返る。「あの事件でマスコミからライブドアの全てが虚業だと言われました。そして技術がないと。一番ひどかったのはワイドショーのコメンテーターでしたね」

堀江の逮捕騒動の時、ポータルサイトlivedoorのニュース欄にはこう書かれていた。

「当社にとって不利益なニュースであっても、公正に情報を提供します」

ライブドアのシステムは、オペレーティング・システム(OS)から開発環境まで、オープンソース・ソフトウェアと呼ばれる、ソースコードが開示されているソフトウエアをベースに構築されている。谷口さんはライブドアの魅力を、滝のようにログが流れるサービスを自分の力で作れること、と語っている。オープンソースは、高度なソフトウエア技術力を要する。ライブドアに決して技術力がない訳ではないのだ。その証拠に、強制捜査の当日、ポータルサイトにアクセスが殺到してもシステムは落ちなかった。谷口さんは仲間達にこんな時期だからこそ頑張ろう、みんなで励まし合って困難を乗り越えて行こう、と優しく声をかけていった。技術者も一般社員も、力を合わせあった。

働くことはお金のためと言い放った男が作った会社は、お金よりももっと大切なもののために働いている人達によって支えられ、その最も困難な時期を乗り越えた。


2009年6月6日現在。ポータルサイト「livedoor」は、順調に稼動している。

ライブドア
http://www.livedoor.com/

(参考文献)
こんな時だからこそ安定したサービスを」――ライブドアの技術者魂
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0602/07/news066.html

「週間東洋経済」(東洋経済新聞社)2006年2月4日号 pp16-19、pp32-51

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「Summer Parade」 (DEPAPEPE)

2人組のユニットDEPAPEPE(デパペペ)の歌は、一切歌詞がないインストゥールメンタルである。このSummer Paradeのプロモーションビデオが撮影されたのが西伊豆の松崎である。

初夏を思い起こさせる海と町並みに、PEPAPEPEの軽快なサウンドがとてもあっている。
私の好きな東海バス(略してTB)も登場しているところが微笑ましい。

http://www.mickey.tv/video/watch/e6f5eaca5b467e848b68b936db9eb611?kw=DEPAPEPE&page=7&siteurl=jp.youtube.com

(旅) 松崎

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入田浜を後にし、国道136号線を右に曲がる。いつもは左に曲がって、下賀茂、雲見、岩地海岸を通るルートを使っていたのだが、あまりにも道が狭い上にアップダウンが激しいので、今回から高速バスのルートに変えてみた。車は下田の市街地から国道414号線を通って、そのまま直進して松崎の町へ向かう。

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西伊豆の松崎は、古い町並みがなんとも懐かしい街である。ドラマ版の「世界の中心で愛を叫ぶ」のロケが行われたのはこの街である。

西伊豆地方に特有の「なまこ壁」は、この松崎の至る所で見ることができる。その象徴的な建物が明治商家の中瀬邸である。見学も可能だ。この中瀬邸の前にある橋と古い電器屋さんの建物の前で、人気ヂュオDEPAPEPE の「Summer Parade」のプロモーションビデオの撮影が行われた。

中瀬邸
http://www.izunet.jp/asobu/spot/mz-nakaze.htm

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私は、この街に流れるゆったりとしたリズムが好きである。私の好きな葉山に似ている。初めて訪れても懐かしい街です。

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